小山酒造株式会社
東京都北区岩淵町26-10
原材料名 米(国産)・米麹(国産米)・醸造アルコール
精米歩合 70%
アルコール分 15度
(以上、カップの印刷事項より転記)
《初回記事はこちら》
【お酒】30.丸眞正宗 マルカップ
今月の最初に記事で紹介いたしましたが、東京都北区で明治11年(1878年)から酒造りをなさっていらっしゃった小山酒造さんが、今日2018(平成30)年2月28日をもって清酒製造業から撤退し、140年間の歴史に幕を閉じられます。
今日はその小山酒造さんに敬意を表しつつ、「“まるまる本物”」(※1)の丸眞正宗(まるしんまさむね)マルカップを再びいただいてみたいと思います。
なお、小山酒造さんのお酒は、この他に丸眞正宗 吟醸辛口 300mlをかつていただいております。
最後の丸眞正宗マルカップですからね、普通酒ですが“まるまる本物”のありのままをいただくべく、今日は冷や(常温)でいただきます。
口当たりはキリッとしていますね。
その中に、醸し出された酒臭い(←ほめ言葉です)うまみと酸味とがピンと効いています。
軽い苦みとアルコールのさわやかさともかすかに感じます。
甘みはかなりひかえめですが、ゼロではなくてほんのりと感じます。
キリッと引き締まった旨辛口のおいしいお酒でした。
こういう引き締まった味わいは、天ぷらの油や寿司の魚臭さなんかをサッと流して、口の中を清々しくさせてくれそうです。
ラベルにあるとおり、これぞまさしく、東京の料理とよく合う“江戸の地酒”でしょう。
この空きカップは、捨てずにとっておこうと思います。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
このカップ酒を入手したときのこと。
2/4に、小山酒造さんの蔵を眺めてまいりました。
まずは、東京メトロ南北線の終点である赤羽岩淵駅。
3番出口から出て、北本通りを北上していきます。
200mほど歩くと、新荒川大橋にかかる直前の右側に丸眞正宗の看板がかかったマンションがあります。
「 東京都北区王子から、かつては都電が走っていた北本通りを北上して、その終点の交差点を右に折れ、国道122号にはいるとすぐに新荒川大橋がある。
その橋の手前、右側に私たちの小さな蔵はある。」(※2)
という記述にあるとおり、かつてはこのマンションが建っている場所にも小山酒造さんの蔵があったそうです。
近年になってから、小山酒造さんはその広大な敷地を利用して不動産賃貸業を兼業なさっているようですね。
もしかしたら、酒造業をやめられてからは、残りの敷地にもマンションが建ってしまうのでしょうか?
これが今の蔵です。
明日からは、もうここでお酒が造られることはないわけですよ。
“愛酒報國”と書かれておりますね。
この言葉は、小山酒造さんの二代目にあたる方が考案した造語なのだとか。
このことについて、上記と同じ文献には以下のような記述がありました。
「 祖父は「愛酒報国」を造語し小山酒造のキャッチフレーズとした。当時、秋田県の酒の宣伝のために造られた「美酒王国」というフレーズを真似たのだと、亡くなった父は言っていた。一方、叔父の小山宙丸(昭和二年生)(早稲田大学第13代総長;ブログ筆者注記)は、明治文壇の立役者だった尾崎紅葉が、文章を書いて国に報いる意で「文章報国」と造語したのを真似たのだという。いずれにしても、その心は伝統産業としての酒造りへの尊敬の念を表わし、かつ酒を大いに飲んで酒税を払い、国に寄与しようということであろうか。」(※3)
この蔵の入口に、地図が掲げられておりました。
黒いところが今の蔵で、黄色がマンションが建っている場所です。
このマンションの入口(写真の下側)、すなわちかつての蔵の入口には、小山酒造さんが設置した水飲み場があったそうです。
このことについて、文献に以下のような記述がありました。
「 現在もこの蔵の旧岩槻街道に面する門のわきには、道行くひとの喉を潤すために清水の蛇口がある。曾祖父(小山酒造さんの創業者;ブログ筆者注記)から続くもので、曾祖父は通行するひとびとのための蛇口のほかに四斗樽三個に水をはって荷を引く牛馬のために置いていた。この樽もささらでいつも洗われて、毎日きれいな水をいれ替えていたという。
祖父は「一口飲んで、元気をつけて」と墨書きした札を門のわきの蛇口の上に掛けて、大震災で被災したひとびとを勇気づけたのだった。」(※4)
あーあ。
このマンションが建つ前に訪問して、その水飲み場で水を飲んでみたかったなぁ。
先ほどのマンションの隣には、小山酒店さんがありました。
小山酒造さんの直営店です。
その小山酒店さんで、今日いただいた丸眞正宗マルカップと、丸眞正宗の本格辛口とをGet!
双方とも普通酒のようですから、もしかしたら中身は同じかもしれません。
愛酒報國の盃をいただいちゃいました。
なんでも昭和の初期に製作されたものなのだとか。
これはもう、家宝ですよ!
小山酒造さんを後にして、赤羽駅へと向かいます。
赤羽駅の周辺で一杯やってやろうかと目論んでおりましたが、昼時だったこともあって、どこの店もいっぱいでした。
”丸健水産”さんの店先には、すでに行列ができておりました。
写真に写っている列だけじゃなくて、道を挟んだ右側にも長い列がありましたよ。
丸眞正宗のカップ酒をお客に供されていらっしゃる丸健水産さんですが、小山酒造さんの廃業後はどうするのかな?
赤羽の名店である“まるます家”さんも、すでもこの行列でした。
12時を回っていて空腹が限界に達しつつあったことから、赤羽で一杯やることはさっさとあきらめましたよ。
赤羽駅前にあった立ち食いそば屋で春菊天そばを食べて腹を満たして、
赤羽駅から上野東京ラインに乗って、さっさと帰ったとさ。
小山酒店さんでうかがったところ、“丸眞正宗”の銘柄は小山酒造さんの親戚筋(本家)である小山本家酒造さん(世界鷹小山家グループ;さいたま市西区指扇)が引き継ぐことで話が着いたようです。
でも、これは私の推測ですが、小山本家酒造さんが今日いただいたこのカップ酒も引き継くかどうかは、おそらく微妙なところでしょう。
それに、たとえ引き継いでくださったとしても、それは埼玉県で造られたお酒ですから、東京からカップ酒が一つ消えたことに変わりはありません。
東京の
酒は思い出
忘れまじ
さようなら、
丸眞正宗。
(※1)小山織『酒蔵の四季 東京・小山酒造の暮らし』p.15(1996.10 東京書籍)
(※2)(※1)p.27
(※3)(※1)p.63
(※4)(※1)p.61
この記事へのコメント
yoshida
hanamura
業界全体では、輸出は好調と聞きましたが、肝心の国内?
赤羽は、朝から、昼から、かと思いましたが、そちらも残念。
skekhtehuacso
skekhtehuacso
小山酒造さんでは越後杜氏が担っていたそうですが、その人数が少なくなってしまったのかもしれません。
エクスプロイダー
このカップ酒は数年前に東京駅で買いました。
skekhtehuacso