田苑酒造株式会社 鹿児島工場
鹿児島県薩摩川内市樋脇町塔之原11356番地1
本格焼酎
原材料/さつまいも・米麹(国産米)
アルコール分/25度
容量/200ml
(以上、ラベルより転記)
田苑酒造さんの焼酎は、麦焼酎の田苑 金ラベル 12度と、同じく麦焼酎の田苑 金ラベル 20度 200ml、そして芋焼酎の田苑 芋 200mlとをいただいております。
今日いただくこの田苑も芋焼酎ですが、こちらは黒麹仕込みなのだとか。
25度の芋焼酎ですからね、今日は半分だけいただきます。
残りの半分は明日、別の飲み方で試してみて、その感想はこの記事に追記します。
いつもならば“まずは生(き)で”とはじめるところですけれども、今日はどうか勘弁して下さいな。
だってこう暑いとね、冷たいやつをキュッとやりたいじゃあ~りませんか!
ということで、今日は最初から水割りでいただいちゃいますよ。
最初に重さが来ますね。
でも、けっしてクセのない重さですよ。
その次に、黒麹らしい香ばしさをふわっと感じます。
軽い苦みもちょっとあるかな。
甘みも少し感じます。
翌日。
ロックでいただきます。
ロックだと、トロッとした口当たりがありますね。
それに香ばしさが先に来て、その後で重さがじんわりと来るみたいです。
ロックでありがちな苦みも少し感じます。
甘みもありますね。
水割りでさっぱりと、そしてロックで味わい深く楽しめるおいしい芋焼酎でした。
黒麹仕込にしてはクセがなくて飲みやすいのではないかと思いました。
ロックだとちょっと味わいに角が出るかもしれませんが、水割りだとそれがなく、かつ風味豊かにいただくことができました。
鹿児島の焼酎ってのは、やはりお湯や水で割っていただくことを前提として造られているのでしょうか?
そういえば、薩摩の蔵元さんである田苑酒造さんは、かつて鹿児島県から遠く離れた福島県の会津若松市にも蔵を持っていて、そこで“会津藩”という銘の清酒を造っていたことがあったそうですね。
今はもう撤退してしまったみたいですが、このことについて文献には以下のような記述がありました。
「 市内日新町には末廣酒造嘉永蔵と並んで、もうひとつの酒蔵が立ち並ぶ。
昭和六十一年までは。「会陽」の酒名で知られる老舗の酒造メーカー松本本店のものだった。
翌六十二年二月に、田苑酒造の前身である会津松栄酒造という聞きなれない看板が掲げられた。
鹿児島の焼酎メーカー薩摩酒造が松本本店を買収して、会津松栄酒造という名前で新たな会津の酒造メーカーとして乗り出したのだ。」(※1)
「 市内日新町にある田苑酒造会津工場は平成三年当時、会津松栄酒造と名のっていた。
鹿児島にある薩摩酒造が親会社だった。」(※2)
それにしても、戊辰戦争では官軍の要として会津藩を攻めた薩摩に蔵を置く蔵元さんが、その戊辰戦争から120年も経ったのちに萩市(長州)から姉妹友好都市の打診を受けたにもかかわらず「時期尚早」として断ったと言われているほど人々の心に薩長に対する嫌悪感が根強く残っていたと思われる会津若松市に蔵を置いていたなんて、いったいどんな思惑があったのでしょうね。
その思惑については今回はわかりませんでしたが、調査は継続する予定ですので、わかり次第この記事に追記したいと思います。
あーあ、会津のことに触れたら、会津へ行きたくなってきましたよ。
でもどうせ、また雨なんだろうな。
あたしゃ会津へは少なからず足を運んでいるのですが、雨が降らなかった試しが一度もないものでね。
というか、会津以外でも、ここのところ出かけるたびに必ず雨が降りやがるものでね。
(※1)石原信一『会津地酒紀行』p.262(2004.7 歴史春秋出版)
(※2)(※1)p.270
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